【今日のえぇもん】

日々、感じたままを書き下ろします。

七夕

『市中繁栄七夕祭』(名所江戸百景の一つ。歌川広重):江戸後期

最近、七夕だから何かするという事もなくなり少々ロマンチストには遠のいている私です。
ここで、寂しいので七夕について調べてみるとあらそうなの?って事が沢山ありました。

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七夕(しちせき、たなばた)は、日本、中国、越南、朝鮮、台湾などにおける節供、節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のことであるが、日本では明治改暦以降は7月7日又は月遅れの8月7日に多く七夕祭りが行われる。五節句の一つにも数えられている。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」とも表記し、今日に至り、一般的に「七夕」を「たなばた」と発音するのはその名残である。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚織津女の伝説と合わさって生まれた言葉である。

こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい (星合い、星合) という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と彦星が流す涙といわれている。

各地の「七夕祭り」のうち、戦後に始まったものの多くは仙台七夕をモデルとしている。しかし、1873年明治6年)の新暦採用を境にして年々この風習は廃れ、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。このような事態を憂えた商店街の有志により、1927年に大規模に飾りつけが行われた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。これ以降、「七夕祭り」が集客力のある商店街イベントとして認知され、現在では都市イベントとなるまで発展している。飾りつけに見られるくす玉も、仙台七夕が発祥である。

「七夕祭り」は、神輿や山車を用いる祭りと異なり、飾り付けを前日までに終えれば祭り当日に人的に借り出しがなされず、商店前の通行規制も少ないため、商店街の機能を低下させることなく買物客を集められるという意味で、商店街との親和性が高いイベントである。そのため成功例の仙台七夕を模範に、戦後の復興期以降、商店街イベントとしての「七夕祭り」が東日本を中心に日本各地で開催されるようになり、現在では都市イベントにまで発展している例も多い。

七夕飾りによる昼間の商店街イベントと夜の花火という組み合わせがよく見受けられるが、2001年から始まった松坂七夕まつりのように、商店街イベントではなく、河畔で行われるステージと花火による地域イベントを「七夕祭り」とする例もある。

Wikipediaより

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っとまぁ色々書いてあったのですが、七夕が中国からきたのは私はしりませんでした。
また、織姫様と彦星様のお話がそんな素敵でせつないお話とも知りませんでした。
ただ、戦後の記事で思ったのは祭りはやはり商業祭じゃないと繁栄しないし継続もありえないと改めて思いました。

私たちも今から挑戦することは大変だと思うけど、地域が発展していけるようなそんなお祭りのお手伝いをしたいと思います。